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チョムスキーがパレスチナについてかなりつっこんだ質問に答えている記事(Q&Aを編集したもの)です。 ジュネーヴ合意の是非から始まって、帰還権、一国解決案、バイナショナリズム、ガザの破壊とヤーシーン暗殺の意図など、トピックスはきわめて的を得たもので、質問者たちの切り込みもかなりするどく、ちょっとはらはらするような展開です。インタヴューという形式もあるのでしょうが、けっこう危うい表現だと感じるところもあります。チョムスキーは中東について大著を著していますが、その主眼はあくまでもアメリカの影響力におかれていて、アメリカやイスラエルの政策についての分析は非常に詳しいけれども、パレスチナ側の自律的な運動についての認識が乏しく、とくにPLOの理想には冷淡です。このインタヴューでも、どうやらPLOは「民主的な世俗国家」をめざすものとは理解されていないようです。ISMやPNIなども無視されている。

まあ、そういう点はひっかかるのですが、それはそれとして、チョムスキーが現時点で強調しているのは「実現可能な解決」ということのようです。バイナショナリズムは本人の理想でもあるのですが、現時点では最悪の展開(移送計画や核兵器使用の可能性までほのめかしている)を避けるためにとりあえず実行できる解決策を支持すべきだ、ということでしょう。占領地の圧制に苦しみつづけ、この先はもっと酷い目にあいそうな人々に対し、何の具体性もない理想を現場の外から説きつづけることには確かに非難されるところはあるでしょう。ただ、現実的な選択をするにしても、そこにはやはり何かの希望がなければいけなと思うのですが、パレスチナ人がジュネーヴ合意を受け入れ、なしくずしに帰還権という基本原則を放棄したとき、それに代わる拠り所はどこに見つかるのでしょうか。

パレスチナの正義?
Justice for Palestine?
Znet 2004年3月30日

 解決の見通しにつてのQ&A
[質問者はスティーヴン・R・シャロムとジャスティン・ポドゥール]


1.イスラエル・パレスチナ紛争の最善の解決はどんなものでしょう?

それは、どんな枠組みを念頭においているかによります。 短期的には、実行可能でなんとか我慢できる唯一の解決策は国際的なコンセンサスにそったものですが、それを合衆国はこの30年のあいだ一方的に阻止しつづけてきたのです。そのコンセンサスは、二つの国家に分割して、グリーンライン(西岸・ガザの占領が始まる前の境界であった1949年の停戦ライン)を国境とするというものです。そういうものを前提に、「わずかな相互の調整を施す」というのがアメリカの公式な政策に使われている表現ですが、この政策は1971年以降、事実上、放棄されています。 いまではもう、アメリカが支援するイスラエルの入植とインフラ構築によって、「わずかな」の意味が変わってしまいました。 それでもなお、基本的に上記のものに倣った解決案がいくつか提案されています。その中でいちばん重要なのは2003年12月に成立したジュネーヴ合意でしょう。ここには1対1の比率で土地を交換するなど和解に向けたさまざまな具体的プログラムが提示されています。これは達成可能なものといってよいでしょう。合衆国政府がそれを支持すれば達成できるでしょうし、その点に関してはわたしたち(アメリカ人)にも影響を与えることができる。それゆえ、わたしたちには最も重要なものです。 いまのところ、合衆国はそれを拒否しています。 「支持のメッセージを寄せる各国政府のなかに、合衆国が欠けていることがめだった」と、「ニューヨーク・タイムズ」は、この合意が発表された12月1日のジュネーヴでの会合についてのニュース記事で(全体的にばかにしたような調子で)伝えています。

2.二国家に分割するという解決案は、かつては可能だったかもしれないけれど、過去37年のあいだの経済や人口構成上の変化や入植地などによってイスラエルのユダヤ人とパレスチナ人は非常に深く結びつくようになっており、いまでは二国家案にしたがっても現実的に存続可能な二つの国ができるとは思えないという声もあがっています。 このような主張はどう思われますか?

問題をはっきりさせておきたいのですが、この質問は、占領地において、二つの社会が深く結びついてきたために分割が不可能になったかどうかということですね。イスラエルの中ではつねに結びついてきたのですから。 その主張は正しくないと思います。たまたまですが、最近この問題をおおやけに論じたイスラエルの元シンベト(統合公安局:GSS)長官たちも同じ考えです(2003年11月14日)。 かれらが全般的に同意しているのは、イスラエルがガザ回廊から完全に撤退することは可能だし、そうすべきだということ、西岸地区では入植者の85〜90パーセントが「単純な経済プラン」を与えれば撤退に同意するであろうし、たぶん10パーセントぐらいは「激しく対立することになる」だろうが、それほど深刻な問題ではない、ということです。 ジュネーヴ合意とアヤロン・ヌセイベ提案も、同じ想定にもとづいています。それは現実的なものだと思えます。

3.それに関連した議論で、現状がすでに二国家解決案ではないかというものがあります。イスラエルが受け入れるであろう唯一の二国家解決案は一種のバンツースタン、すなわちイスラエルの軍事・経済的な優勢のもとに置かれ、イスラエルが管理する国境でいくつにも分断された小区域です。これが現在までに出されてきた二国家提案の原理であり、なかでも悪名高いのがオスロ合意です。 この議論については、どうお考えですか?

何を「イスラエルが受け入れる」かは、勘の良いイスラエルの評論家たちが「“パートナー”という名の親分」と呼ぶ大国が決めることによって変わります。 そして、その大国の決定に責任があるのはわたしたちです。イスラエル人がどこまでのものを受け入れるかについては、世論調査の結果はさまざまで、どのように質問がされるかによっていくらでも変化します。でも一般的には、元シンベト長官の見通しが広く共有されています。 オスロは二国家の提案ではありませんでした。 これは一般的に誤解されているところです。 1993年9月のオスロ合意の原則宣言は、「恒久的な地位」は国連安保理決議242に基づくものとするとしか述べていません。この決議にはパレスチナ人の権利はなにひとつ認められていないのです。占領地にパレスチナ人の国家を建設することを要求する他の決議はここには含まれていないのです。この国際的コンセンサスは、合衆国が1970年代なかばから一貫して阻止してきたものです。 従って、オスロ合意はまったく相手の存在を認めない拒絶主義でした。 最初のオスロ合意の後、ラビン政権もペレス政権も、パレスチナ国家について言及することさえありませんでした。もっと重大なのは、オスロ合意は合衆国に支援されたイスラエルの入植と開発の計画を阻止するものではなかったということです。このために、パレスチナ側の本来の交渉団の代表ハイダル・アブドゥル=シャーフィが、1993年にホワイトハウスで行なわれた調印式に出席することさえ拒否したのです。ラビンとペレスが明らかにしたように、かれらはその計画を続行するつもりであったし、事実そうしました。 それはオスロ和平プロセスの期間をつうじて継続しました。入植活動がピークに達したのは2000年、クリントン大統領とバラク首相のコンビにとっては最後の年でした。 この時には、パレスチナ国家の問題がとうとう浮上していました。焦点となったのは、それがどこに位置するのか、どのような形態をもつのかということでした。 クリントンとバラクが2000年にキャンプ・デイヴィッドで提案したものは、とうてい実現不能のものでした。その理由については他所のところで詳細に論じてきました。2001年1月のタバ交渉ではかなりの改善があったのですが、バラクはそれを取り消し、その後正式に再開することはありませんでした。 非公式の交渉は継続し、ジュネーヴ合意をもたらすことになりました。 (キャンプ・デイヴィッドとその影響についての論議は、拙著Hegemony or Survivalの第七章と、そこで取り上げた参考文献を参照されたい。主流思潮の中では、Hussein Agha and Robert Malley, Foreign Affairs, May-June 2002; Jeremy Pressman, International Security, Fall 2003.などが参考になる。 もっとも有益な継続的分析は、ジェフリー・アーロンソンの「イスラエルの入植地報告」(中東財団))

ちなみに、これらの提案のどれもが、イスラエルと来るべきパレスチナ国家のあいだの軍事・経済上の圧倒的な力の差についてはなにも触れていないというのは、まったくそのとおりです。

4.民主的な世俗国家を建設するというかたちの、一国家解決案についてはどうお考えでしょう? そのような解決が、今日でも望ましいと思いますか? 今日の状況で現実的なものでしょうか?

民主的な世俗国家という提案が正規のものとして、パレスチナ側の(イスラエルはもとより)重要グループから出てきたことは一度もありませんでした。抽象的に、それが「望ましい」かどうかを議論することはできます。でもそれは、まったく現実的なものではありません。 これといった国際的な支持があるわけでもありませんし、イスラエルの中では、ほぼ異口同音に反対の意見が聞かれます。そんな国はじきにパレスチナ国家になり、ユダヤ人はそこでマイノリティに転落するものと理解されていますし、そこに民主主義や世俗主義があるという保証はありません(これはマイノリティという地位が受け入れられると仮定してのことですが、そもそも受け入れられることはありません)。現時点で民主的な世俗国家を要求している人たちは、結果としてイスラエルと合衆国のいちばん過激で暴力的な分子に武器を提供することになっていると思います。

5.現時点で民主的な世俗国家を要求している人たちにも、そんな国は民主主義も世俗主義も保証しないと本当に「理解されている」のでしょうか? なぜ民主的な世俗国家は堕落が避けられないのでしょう? 加えて、民主的な世俗国家を要求することが、結果的にもっとも過激で暴力的な分子に武器を提供することになるという議論を、もう少しくわしく説明してください。

何が「理解されている」のかは、わたしにはわかりません。 けれども、何が起こるかは火を見るより明らかです。 合衆国(これがメイン)とイスラエルの民衆による圧力が自国の政府に国際合意にそった二国家解決案を受け入れさせることができないのであれば、ユダヤ人がじきにマイノリティに転落するようなパレスチナ国家のためにイスラエルを消滅させることを政府に納得させることなど、できるはずがない。 さらに、ごく一握りの少数派を除いてイスラエルの大衆がそのような提案に考慮を払うことすら想像を超えたものに近いし、なにがしかの国際的な支援があるわけでもない。 そこで、そこから先の論議はまったく抽象論になってしまい、現時点で想像できるものにさえ無関係になります。 それでも続けるとすれば、そこで問われる(まったく抽象的な)問題は、「民主的で世俗的」と宣言した国家が堕落するのが避けられないことかどうかではなく、民主主義と世俗主義の保証があるかどうかでしょう。 そんなもの、あるはずがない。 例えばイスラエルは、すでに「民主的な世俗」国家を自称していますが、実際には長年のうちに創りあげた一連の手の混んだメカニズム──法律上のものから行政的な慣習にまでおよぶもの──によって、ユダヤ系の住民に途方もなく大きな特権を与えています。 同じことは、他の「民主的」あるいは「世俗的」を自称する国家にもあてはまります。 想像上のパレスチナ国家について、とくに保証があると期待する理由が他のケースより大きいわけではないし、それを信じなければならない理由はだれにもありません。 たとえこれまでにパレスチナ側から信頼に足るような「民主的な世俗国家」の提唱が一度でもなされていたとしても、同じことでしょう。 イスラエルの民衆からも、国際的にも、重要なものとはみなされないような「民主的な世俗国家」の要求は、イスラエルの抹消をはっきり要求しながら、その見返りとしてイスラエル人には来るべきパレスチナ国家における一定の自由への希望のほかには何も提供していないのです。 この提案に少しでも一般の注意が集まるならば、イスラエルと合衆国のプロパガンダ・システムは嬉々として飛びついてくるでしょう。それを大々的に取り上げて、「和平を結ぶための相手方がいない」ことを示すような例がまたもや出てきたぞと宣伝し、だから合衆国とイスラエルは野蛮なパレスチナ人たちをウエストバンクに閉じ込めることによって「安全」を確保するしか選択肢がないのだと主張するのです。イスラエルと合衆国のもっとも過激で暴力的な分子にとっては、この提案は願ってもない贈り物になるでしょう。

6.あなたは一時期、イスラエル・パレスチナ紛争の最善の解決策としてバイナショナル国家(二民族による一つの国家)を熱心に提唱していました。 そのような解決が今日でも望ましいと思いますか? 現在においては現実的なものでしょうか?

それが望ましいということについては、わたしは子供の頃からそれを信じてきたし、今もそう思っています。そして、それが現実的だった時期もあったのです。 1967年から1973年にかけて、わたしはそれについてかなりたくさん書きました。その当時は、十分に実行可能なものだったからです。 しかし、パレスチナ人やイスラエル人のあいだにそれを支持するような声はほとんどありませんでした。むしろ、きびしい批判をハト派からも浴びせられることになり、合衆国ではヒステリーに近いような批判がわき起こりました。 この時期にはまた、主要なアラブ諸国と完全な講和条約を交わすことも十分に可能なことでしたし、実際1971年にはエジプト、次にはヨルダンから和平の申し出がありました。 この件については、その当時も、それ以降も、多くの議論を出版物に発表していますし、ここでそれを要約しようとは思いません。 わたしの意見では、もしこうした手段がとられていたならば、その後に起こった多くの迫害や死や破壊が避けられていたはずです。 1973年までに、その機会は失われました。そうして唯一の実行可能な短期的な解決は、二国家解決案ということになったのです。 そのことは現在も変わりません。 もしそれが実施されるのであれば──多分ジュネーブ合意の方向にそってでしょう──暴力のサイクルは終了し、反転するでしょう。 長期的には、敵意や恐怖が沈静化し、民族という区分にそったもの以外の関係性がもっと着実に築かれていけば、連邦制のかたちでバイナショナリズムの実現にむけて動くことも可能だろうし、その後にもっと密接な統合、もしかすると一つの民主的な世俗国家を建てる方向に進む可能性さえあるでしょう。ただし、パレスチナでも他所でも、これが複雑な社会のための最適の取り決めだとは言い切れないのですが、それはまた別の問題です。

7.何が変わったのですか? どうしてバイナショナル国家が短期的にはもはや現実的な選択肢ではなくなってしまったのですか?

変化したのは、1973年の戦争と、世論がパレスチナ人のあいだでも、アラブ世界でも、また国際政治の場においても、パレスチナ人の民族的な権利を支持する方向に動いたことです。それは国連安保理決議242を踏まえ、その上に占領地にパレスチナ国家を樹立し、イスラエルは撤退するという条項をつけ加えたものでした。 先に述べたように、1970年代なかばから合衆国はこれを一方的に(イスラエルと共に)妨害してきましたし、現在もそうしています。 個人的には、もし1967年から73年までの期間には実施できたであろう一種の連邦制バイナショナリズムに、現在の時点で支持が集まっていればどんなに嬉しいことでしょう。 けれども、そんな兆候は見えません。

8.民主的な世俗国家もバイナショナル国家もいまのところ現実的ではない、なぜならばそれを支持する者がいないからだとおっしゃいました。 けれどもまた、パレスチナ人もイスラエル人も1967年から1973年にかけての期間にバイナショナル国家を支持してはいなかったともおっしゃいました。それでも当時はバイナショナリズムが実行可能なものであったとおっしゃっています。 もちろん、もし人々がその当時それを支援していたならば、それは現実的だったでしょう。 けれども、同じことは現在についても言えるのではないですか?

あれから後に起こったことを、あっさり歴史と意識から消去してしまうことはできません。 どちらの陣営も(そして肝心なことに、合衆国でも)、連邦制バイナショナリズムを採用し、状況が許せばさらに緊密な統合に向かうという現実的な提案について、考慮してみる気もなかったというのは事実です。 その結果おこったのは、戦争と破壊、厳しい軍事占領、土地と資源の接収、抵抗、そして最終的にはますます激化する暴力の繰り返し、相互の憎悪と不信です。 それらの結果は、先に言及したようなことと並んで、みな事実であり、消えてなくなれと願って失せるものではありません。 それゆえ、バイナショナリズムに向けて動くための基礎条件が、この提案が実行可能であった1973年以前と比べて、はるかに脆弱になっているのです。 こうした過去の重大な過ちの結果として、そのような解決に向かうことのできる唯一の実行可能な方法は、二つの社会の中でかなりの支持を集め、かつ圧倒的な国際的支援を受ける(アメリカは別として)ようなものでなければならないのです。長年にわたる国際的なコンセンサス、その現代版の一つで、もっとも現実味があるのがジュネーヴ合意です。 1967年から73年にかけてよりも障害ははるかに大きくなっているというのに、もしもバイナショナリズムをめざす大衆的な運動がほんとうに形をとっているのならば、それほど嬉しいことはなかったでしょう。 でもそれは、むなしい願望にすぎないようです。 可能性は、以前よりもずっと小さくなっています。

ちょっと面白いのは、実現の可能性があったときには激しく非難され、相当なヒステリーを引き起こすことも多かったような提案が、いまでは十分に容認できるものと見なされており、「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」や「ニューヨーク・レヴュー・オヴ・ブックス」のような雑誌にお目見えすることさえあるということです。 思うにその理由は、こういう提案は完全に実行不能であると理解されており、そのため誹謗中傷を浴びせて、議論から除外するという、それらが実現可能であった時代に繰り返されたようなことは、もはや必要がないということなのでしょう。 今では、それらを認容していることが、わたしたちの人道主義的な関心を証明する手段になっており(そうしても何かほんとうに実のある結果が生じる恐れはないのだから)、より暴虐で抑圧的な勢力には、もしこの議論がきわめて抽象的な議論の外に飛び出したならば、格好の餌食として飛びついてくるでしょう。その理由はすでにお話しました。

9.二国家解決案は理想的ではないが、それを実現すればパレスチナ人の苦しみを大幅に減らすことができるだろうとあなたはおっしゃいます。 でも他の場合においては、イスラエルという国家とパレスチナ人たちとの力の不均衡を反映した「妥協」的な解決(たいていの二国家解決案のような)には反対なさってきました。オスロ合意や2000年のキャンプ・デイヴィッドにおけるアメリカの意見などのようなものです。 どこに違いがあるのでしょう?

どの妥協を受け入れるべきであり、どの妥協はだめなのでしょう? そこに一般的な公式があるようには思えません。これまでのどんな条約も合意も、思いつく限りのものはすべて「妥協」の産物であり、不公平でした。受け入れる価値があるものもあり、ないものもあります。アパルトヘイト時代の南アフリカを考えてみてください。わたしたちは皆、アパルトヘイトを終わらせることに賛成しました。たとえそれが徹底的に不公平なものであり、高度に集中した経済的な力にはまったく手を触れていなかった(圧倒的に優勢な少数派白人のなかに黒い顔がいくつか見えるようになったとはいえ)としてもです。 その一方で、わたしたちは皆、40年前になされた別の妥協である「ホームランド」(「バンツースタン」)政策には、頑強に反対しました。 ここに公式らしいものがあるとすれば──あまり意味のないものですが──もしそれが可能な最善の選択肢であり、もっとよい方向へ導く可能性があるのであれば、妥協も受け入れるべきだということでしょう。 これを評価基準にして、試してみるべきだと思います。 シャロンの二国家解決案は、パレスチナ人をガザ回廊と約半分の西岸地区にとじ込めておこうとするものです。これは、評価基準に遠くおよばないので受け入れるわけにはいきません。 ジュネーヴ合意はこの評価に近いところまで言っています。ですからそれは受け入れるべきだというのがわたしの意見です。 こういうものは常に、実現の可能性について、前進する機会の有無についての複雑な判断を伴います。

10.パレスチナ難民は合意の一環として「帰還権」を放棄する用意がなければならないのでしょうか? それは西岸地区とガザの住民を益するために、パレスチナの外の難民キャンプで厳しい状況の中に暮らしているパレスチナ人たちを犠牲にすることにはならないのでしょうか?

パレスチナ難民たちはもちろん帰還権の放棄には乗り気ではないでしょう。でもこの世界の中では──セミナーで論じられるような架空の世界ではなく──この権利が行使されることは、限定的なもの以外は、イスラエルの中ではありえません。 ここでも、そうすることへの国際的な支持はまったく感知できないし、もしもそのような支持が出てくるという(ほとんど想像不能な)状況があったとしても、イスラエルはたぶん、たとえ親分にさからってでも、最終兵器に訴えてそれを妨げようとするでしょう。 そうなれば、論じるべきものは何も残っていない。 事実は醜悪です。でも、それを理由に事実が消えてくれるわけではありません。 わたしの意見では、苦難と抑圧にあえぐ人々の目の前に、実現できるはずのない希望をぶら下げるのは適切な行いではありません。 むしろ、彼らの苦しみを和らげ、現実の世界での問題に対処するための建設的な努力に力を注ぐべきでしょう。

11.イスラエルが組織化された世論の力によって二国家解決案を受け入れさせられるかもしれないというのなら、なぜ民主的な国家やバイナショナル国家という解決案や帰還権についてはそれができないのでしょう? なぜイスラエルは後のケースでは最終兵器に訴えるのに、先のケースではそうしないとお考えなのでしょう?

国際的なコンセンサスにそったかたちの二国家解決案はイスラエルではすでに非常に広範な世論によって容認されています。そこには、たまたまですが、極端なタカ派も含まれます。かれらは「人口構成の問題」を懸念するあまり、イスラエルの中のアラブ人密集地区の住民を新生パレスチナ国家に移送してしまえという(言語道断な)提案さえするような連中です。 なぜこの提案が容認できるのかは容易に理解できると思います。また同じ理由で1970年代からはほぼ世界全体がそれを受け入れてきました──そこには大半のアメリカ人も含まれます。 従って、アメリカで組織化した運動を起こして、アメリカ政府を動かし、国際的な合意に一致させるように持っていくことは想像できないことではありません。そうなった場合には、先に述べた理由によって、イスラエルもこれについてくると思われます。 しかしながら、イスラエルを消滅させてユダヤ人が少数派となるパレスチナ国家をつくることになるような解決案では、それを支持するように世論を結集させることは、アメリカでも他のどこでもほとんど不可能でしょう。おまけに難民が帰還すれば、ユダヤ人はきわめて少数の散在するマイノリティになるでしょう。 そんなものは空想でしかありません。 そして先に述べたように、それにはほぼすべてのイスラエル人が反対します。 その場合は、かれらは自分たちの「最終兵器」(持っているのです)に訴えて、自分たちの滅亡というふうにたぶん思い込んでいることを防ごうとするでしょう。 すでに論じたように、バイナショナリズム(帰還権は実質的にパレスチナ側の領域に限定される)への支持が、実行可能な期間1967年から73年までの期間よりもずっと起こりにくくなっています。もし起こってくれれば、本当に嬉しいのですが。

12.アメリカ政府が二国家解決案を阻止しているかぎり、それが起こることはなさそうです。 なのにどうしてアメリカ政府が二国家解決案を支援するかもしれないとお考えなのでしょう?

同じ理由で、わたしはかつて、アメリカ政府はヴェトナムから撤退するかもしれないと考えたことがありましたし、限定的ながら医療制度を導入するかもしれない、インドネシア軍に東ティモールから撤退するように告げるかもしれない、インドネシアの将官に知らせるかもしれない、などと考えたこともあったのです。 政府は組織化された世論の力によって要求どおりに動くこともあるのです。 これはたまたま珍しく簡単なケースです。 大衆のおよそ3分の2が、いわゆるサウジ提案を支援しています。イスラエルがすべての占領地から完全に撤退することを要求するものです。 それはジュネーヴ合意を大きく超えるものです。 同じくらいの多数の人々が、アメリカは交渉を拒絶する陣営には援助を与えない(ここ数年については、イスラエルを意味する)ことを望んでおり、もし交渉に入るのであれば、両陣営が平等になるように援助する(イスラエルからパレスチナへと支援が大幅に切り替えられることになる)ことを望んでいる。 もちろん、こういう結果はほとんど公表されないし、人々はあまりにも関連情報を奪われているのでたぶん自分たちが何を望んでいるのかを明瞭に把握することができないのです。 でもそういう状況でこそ、教育活動や組織化の活動が活動が非常に大きな違いを生み出すことができるのです。

13.イスラエルの大衆が、本気で二国家解決案を受け入れると思われますか?

合衆国の圧力がなくても、大半の人々がこの種の解決を望んでいます。ただし、ここでも世論調査が具体的にどのように質問するかで結果が大きく左右されるのですが。 アメリカ政府の立場が変われば、おそろしく大きな違いが生じるでしょう。 大衆はそのような結果を受け入れるだろうという、元シンベト長官やイスラエルの平和運動(グッシュ・シャロームなど)の判断は、認めるに十分な理由があると思います。 けれども、それについて推測することは、わたしたちが本当に関心を持つべき問題ではありません。 むしろわたしたちの課題は、アメリカ政府の政策を、残りの世界全体の意見、そしてもちろんアメリカの大半の民衆の声に一致させることです。

14.先ほど、1973年の戦争が分岐点となって、後戻りできない変化が起こったと指摘なさいました。 わたしたちは今、もう1つの分岐点を迎えているのでしょうか? イスラエルは、二国家解決案に向かう可能性を閉ざそうとして、暗殺政策をエスカレートさせているのでしょうか。アフメド・ヤ―シーン師の暗殺にはじまり、今度はハマースの指導者全員を殺害する方針が発表されました。おそらくアラファトもそれに加えられ、たぶんレバノンのヒズボラ指導者ナスラッラーも加えられるのでしょう。

イスラエルの右翼は間違いなくこのような手段をつかって、重要性のある二国家解決案の可能性をつぶそうとしているのだと思います。 もっと具体的に、ヤーシーン師を殺害し、ラファを破壊し、他にも似たような措置をとっているイスラエルの狙いは、予想される撤退の後、ガザ回廊に残されるのが完全な廃墟であることを確実にし、そこに閉じ込められた住民が衰弱して死ぬか、絶望の中で互いに攻撃しあうようにすることでしょう。それを観察した西側の人道主義者たちが、パレスチナ人たちは(ハイチ人など、わたしたちの温情の標的にされた他の人々と同じように)せっかく機会を与えてやっても自分たちをみずから管理することができないことについて賢しげにコメントすることになるのでしょう。 それゆえ、わたしたちは(不本意ながらも)イスラエルが「防衛」のために西岸地区の貴重な土地と資源を手に入れ、居残っている住民たちを地下牢に押し込めるような動きをすることを支援しなくてはならない、というわけです。 レバノンは、すこし事情が違います。シリアについてのアメリカとイスラエルの計画に関係しているからです。

これはまた、もっとも暴力的で抑圧的な分子にわたしたちはこれ以上の武器を与えてはいけないという理由を追加するものです。

15.あなたは時々インタヴューやトークの中で、自分はかつて「シオニスト」と呼ばれたものだが、いまでは「反シオニスト」と呼ばれている。けれども、自分の立場は変化していないとおっしゃいます。 イスラエル/パレスチナ問題に取り組んでいる今日の若い人たちには、ややわかりにくいことかもしれません。なぜなら、シオニストを自称する人たちはイスラエル政府のもっとも悪意に満ちた政策を支持する人々のように思われるからです。当時「シオニスト」であるとは、いったいなにを意味したのでしょう? 今日ではそれは何を意味するのでしょう?

1942年12月までは、シオニズム運動はユダヤ国家というものを正式に約束していたわけではありませんでした。1948年5月に国家が建設されるまでは、シオニズム運動の内部にもユダヤ国家に対する反対が存在していました。 後にはプロパガンダのために、「シオニズム」という概念は非常に狭いものに限定されていきました。 1970年代には、イスラエルは領土拡張とアメリカへの依存を、安全と地域への一体化よりも優先することを選択し、「シオニズム」の概念は、事実上、イスラエル政府の政策を支持することを指すことへと狭められました。 そこで、高名なイスラエル労働党の政治家アッバ・エバンのような人物が出てきて、異教徒《ジェンタイル》の世界との対話における使命は、「反シオニスト」たちは反ユダヤ主義者であるか、さもなければ病的な自己嫌悪症のユダヤ人だ(彼が例にあげたのは、 I・F ストーンとわたしです)と示すことだなどと述べることになるのです。彼は「シオニズム」の意味をイスラエル国家への支持だけに限定し、それを批判することを論理的に不可能にして排除していたのです。「反シオニズム」という概念は、「反アメリカ主義」という不名誉な概念と同義のものになりました。全体主義の用語集から引き出され、厳密に全体主義的な原則に基づいた概念です。今では、この言葉はプロパガンダによってあまりにも卑しめられてしまったので、もはや破棄してしまったほうがよいだろうと思います。


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